国産ウイスキー黎明期の新製品開発

スコットランドでスコッチウイスキーづくりを学んできた竹鶴正孝氏(後にニッカウウィスキー創業)は1923年に壽屋(現サントリー)に技術者として入社し京都にある山崎蒸留所にウイスキー製造を任されることになります。

そして6年後の1929年に初の国産ウイスキーとして「サントリーウイスキー」(ラベルが白かったことから「白札」と呼ばれその後「サントリーホワイト」)が発売となります。
竹鶴正孝氏の目指したウイスキーはスコッチを手本にした本格ウイスキー。
ウイスキーに憧れ単身スコットランドに渡ってウイスキーづくりを学んだのですから、当然ウイスキーの味への慣れがありウイスキーの味わいに心酔していたはずです。
国産第一号のウイスキーに対しても100%スコッチの品質とは言えないまでも竹鶴氏にとっては満足のいく品質だったと思います。

しかし竹鶴氏の思いは消費者に通じず、売れ行きは芳しくありませんでした。
当時日本で飲まれていた酒と言えば甘みのある「日本酒」。
その味覚に慣れた消費者にとっては甘味が無く、しかも独特のスモーキーフレーバーのあるウイスキーの味わいに大きな抵抗があったことは容易に想像されるところで、「本格ウイスキー」という訴求だけでは消費者の心を動かすことが難しかったのでしょう。

竹鶴氏はウイスキーの製造から離れ、壽屋の社長である鳥井信治郎氏氏は日本人のための日本のウイスキーづくり、言い換えれば日本人にとって飲みやすいウイスキーの製造を進めることになります。

具体的にはウイスキーに甘みをつけ、スモーキーフレーバーを弱くすることでウイスキーという新しい味わいへの抵抗感を下げ「飲みやすい」ウイスキーをつくることだったのだと思います。

人間は甘みを本能的においしさと感じるとと言われていますが、わずかでも甘みが加わることで飲みやすさ(=おいしさ)を感じ、それに慣れるにしたがって癖のある味わいを求めるようになることがあります。
日本でコーヒーが広まり始めた50年ほど前、砂糖を入れて飲むことが一般的でしたが、徐々にブラックで飲むようになってきました。
ワインも当初は赤玉ポートワインに代表される甘いワインが主流で、今多く飲まれているワインは酸っぱくて苦いと敬遠されたものです。
このように甘みは、飲みやすさ、とっつきやすさを助長しますので、甘みを持たせるということはこれまでにない味わいの商品の初期導入時に効果のある品質設計になります。

誤解があるといけませんので少し詳しく説明します。

蒸留した段階のウイスキーには糖分は一切含まれていませんが、樽に貯蔵している段階で甘みを増やすことが出来ます。
例えばスペインのワインにシェリー酒がありますが、甘口シェリー酒の空き樽でウイスキーを熟成させると樽にしみこんでいたシェリーが溶け出してウイスキーが甘くなります。
どの程度シェリーがしみ込んだ樽を使うかによって甘みが違ってきます。
スコッチウイスキーにもシェリー樽熟成のものがありますが、長いスコッチウイスキーの歴史の中で消費者はこれまでの味わいに慣れがありますので甘みはほとんど感じない味わいになっています。

竹鶴氏も鳥井氏も「生活の洋風化によってウイスキーが伸びる」と思っていたことは間違いありません。
それを広めるため竹鶴氏は「スコッチウイスキーと同じ本格ウイスキー」、鳥井氏は「日本人にあった飲みやすいウイスキー」 という製品コンセプトで市場をつくってきました。
国産ウイスキーの黎明期には、こだわりで顧客を獲得するか(プロダクトアウト)、消費者の嗜好に合わせて顧客を獲得するか(マーケットイン)の違いがありました。
プロダクトアウトの製品も魅力があるし、マーケットインの製品も魅力があります。

皆さんがもし当事者だとしたらどちらを選択するでしょうか?

近年ではニッカウヰスキーでもスモーキーフレーバーの無いウイスキーの製品化を行っていますし、サントリー社の製品にも糖分は含まれていません。

今や、世界のウイスキー品評会ではニッカウヰスキー、サントリー製品とも常に上位に位置し、ウイスキーの原点であるスコッチウイスキーに勝るとも劣らない確固たる地位を築くまでになっています。
日本のウイスキーメーカーほど品質向上のための研究開発に熱心なところはありません。

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